田舎暮らし、ときどき北欧。

夢をカタチにするまでの軌跡。

外国人みたいな日本人の彼の話

スウェーデン人のパートナーは

何年経っても

変わらずに最上級の愛を注ぎ続けてくれている。

 

それを聞くと

「さすが外国人ね」

「愛情表現が日本人と違う」

などと

 

外国人だから

 

というようなことを言われることが多々。

 

でもそれって偏見だなあと。

 

というのも

以前付き合っていた、The日本人の彼。

その偏見の仕方で言えば、彼の方がよっぽど外国人かとおもうくらいの愛情表現をしてくれていたとおもう。

その彼とも四年くらい一緒にいたけれど、愛情を感じないことなんてなかった。

今でも、覚えてる。

ずっとずっと愛されていた。

わたしよりもマメな彼は、毎月の記念日にお花とケーキを買ってきてくれていたし

いつでも出かけた先で、わたしの気に入ったものを把握して、忘れたころにサプライズなんかもよくやってくれてた。

それが、お部屋の中に隠してあったりなんかして。

喧嘩して、わたしが一緒に住むアパートを飛び出せば、バイクで探し回ってくれたり、彼が悪いと思った時には、仲直りのためにアイスクリームを買ってきてくれてた。

眠れない夜に手を繋いで月明かりの下を歩いたり、一緒にごはんをつくって食べながら映画を見たり、大学に泊まり込みで論文書いたりなんかもしてたな。

なんでもないような幸せな日常がそこにあった。

わたしは

とてもとても大切にされていたとおもう。

 

だからもう、この十年以上

付き合っているひとたちからは

大切に扱われつづけている。

お姫さまみたいに。

 

逆に、雑に扱われているなと感じると

そのひとの傍にいることが難しくなるということを

今更ながらに、知った。

 

たとえどんなに好きでも。

好きだから一緒にいたいけど、いられないこともあるよね。自分を守るために。

 

わたしはもう自分を大切にしてくれる人としか

一緒にいられない。

とても贅沢なことかもしれないね。

 

そうそう

話は戻るけど、

外国人だからとか

日本人だからって

愛情表現が違うなんてそんなことはないとおもうのよ。

 

不器用なひとだったけれど、まっすぐに

ずっとわたしだけを愛する人だった。

 

「心から人を愛せる、そんな俺にしてくれてありがとう、みぃ。」

 

彼がわたしを〈みぃ〉と呼ぶことも、とても好きだったことのひとつ。

人と違う呼び方が特別みたいな響きで気に入ってたよ。

 

わたしと彼は

最後うまくいかなくて一緒にいられなくなってしまったけれど、この地球のどこかで彼が幸せでいるといいなと願ってる。

傷つけてごめんね。

これ以上傷つけたくなくて離れようとしたとき、どんなに傷ついてもそれでもいいから一緒にいたいと言ってくれるひとだった。

彼がいちばん望むことは

何があってもわたしといることだったのに。

それを叶えることは、できなかった。

 

どうか、彼を笑顔にしてくれるひとが

そばに居ますように。

あのとき以上に幸せな日々を

誰かと一緒に過ごしていますように。

 

今でも大事な人のひとりなのは

この先もずっと変わらないから。

 

もう伝わらないかもしれないけれど

遠くから想ってることを

ここに、記しておきます。

 

大好きでした。

 

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