田舎暮らし、ときどき北欧。

夢をカタチにするまでの軌跡。

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と呼ばれている

スウェーデンパートナーの話。

 


彼のはなしを周りにすると

「そんな出来た人間いる?」

「対応、神すぎない?」

となるのは常のこと。

 


喧嘩をしたとき

すれ違いがあったとき

悲しくて泣いてしまうとき

もう本当にどれだけ負の感情を押し付けたとしても

 


「それでもみゅんが好きだよ、嫌いになんてならないよ」

 


と全てを深い愛で受け止めてくれる7つ下のパートナー。ちゃんと向き合ってくれて話ができる。とても出来たひとです。

(出会ったとき彼は21なのだけど、すでにほぼ完成されていた)

 


ちなみにこれが出来ないからといって、愛がないというわけではないことをここに記しておきたい。

 


ふたりの間で何か摩擦がおきたとき

その時の対応の仕方というのは

 


その人自身の性質

持ってる器の大きさ

さらにはこういった感情にどう対処してくかという知識とスキルの掛け合わせみたいなもの

 


だとおもっている。

 


だいたい色んなひととのコミュニケーションを経て、そういうのは学んでいくのだけど

どれだけ歳を重ねても上手く出来ない人は大勢いる。

 


過去一緒にいたひとの中で

わたしが怒ったら

とりあえず一度だけ謝って(話し合いができないため解決法も見いだせない)その後放置、みたいなこともあったけれど

だから愛がないわけではなく、

ほんとうにただただ対処の仕方がわからなかったんだろうなと思った。

 


このコミュニケーションの経験値が積み重なっているひとは、何か起こった時にきちんと向き合ってきた人。

 


彼の性格や育った環境ももちろんだけど

過去の彼女たち、ほんとうにありがとう!!!!(大声)

こんないい男なかなかいません!!

なんで手放したんまじで。

感謝しかないけども。

 


とにもかくにも

 


わたしはこの6年間

彼の優しさと愛に全てを許されてきた。

 


言ったら怒られるんだけどね

 


わたしには勿体ないくらいのひとなの。

 


以前そう言ったとき

ほとんど怒ったりしない彼が、ひどく感情的になって「それ、撤回して。僕達はお似合いだから。そんな事言わないで」と。

 


相手がとても素敵すぎると、あるときふと自分には勿体ないなとか恐怖が湧いてくる。誰かを愛することは、並行して自分を愛することも学んでいくこと。それも、彼が気づかせてくれた。

 


そんな素敵な人に愛されていることを喜んだり、感謝したりすることに変えていく。いつも彼はわたしがどんなに素敵かって教えてくれるの。ありがとう。

 


彼がどんなに素敵かはこれまでの文章で少しおわかりいただけたかと思うのですが、天は二物を与えずなんて嘘っぱちでして(神様ごめんなさい)

あんな綺麗な顔立ちで、身長高くて

スポーツできて、楽器もひけて、頭もよくて、性格も申し分ないのに愛情深くて

え?どこにだめなとこあるの?こんなに一緒にいて全然見えないんだけど…

という感じです。

 


そんなひとが

スウェーデンにみゅんよりいい女いない。見つけようとしたら3000年くらいかかる。こんなに愛する人もこの先現れない」

とかさらっと言います。

 


一体わたしの前世はどれだけ徳を積んだんでしょうか。

 


今世でもせっせと徳を積みます。

がんばります。

 

以上、ただの惚気でした。