大好きなおばあちゃんが亡くなってから
もう一年も経つんだなあ、としみじみ。
今もわたしを呼ぶおばあちゃんの声を
はっきりと思い出せるよ。
四十九日で帰省した時に
おばあちゃんの遺影の前に
とっても若いおばあちゃんのお写真があって
「それを遺影にしてって言ったんだ」っていう父の言葉に笑ってしまったけど
「おじいちゃんがその姿じゃないと見つけてくれないかもしれない」っていうおばあちゃんの想いを聞いて、涙が出そうだったのを覚えている。
おじいちゃんが亡くなってから五十回忌を終えて、きっとそろそろおじいちゃんもおばあちゃんに会いたくなったのかもしれない。
そんな不思議なタイミングだった。
今回の一回忌にももちろんそのお写真は飾ってあって、わたしはおばあちゃんや曾お祖母ちゃんのお着物を整理していたのだけど、
その中にお写真に映るおばあちゃんが着ているお着物と一緒のお着物があったの。
白地に松の柄。
そのままではシミもあるし着られない。
でも、どうにかして着たい。
おばあちゃんがおじいちゃんを想って選んだお写真だもの。そのとき着ていたお着物にも想いが詰まってるに決まってる。
わたしはその想いを纏いたい。
お色を染め替えたりすればいいんだろうか。
きっと着るからね、おばあちゃん。
お着物に携わるお仕事をして十ヶ月ほど。
お着物はただ物がいいから受け継がるというだけじゃなく、その時の想いまで一緒に受け継がれていくということも知った。
次世代へ。
今度はわたしが受け取る番。
その時の曾お祖母ちゃんやおばあちゃんの想いを大事にしたい。
お着物っていいものなんだよ。