昔から
風邪をひくように恋をしてた。
子どもの頃は身体が弱くて
病院に行くことが日常にあったけど
ほんとにそれくらいの頻度で
人を好きになっていたなあとおもう。
これまで好きになったひとの数なんて
数えてないもん。たくさん。
その度に、真剣にその相手と向き合って
多くの経験をさせてもらった。
好きな人がいない瞬間の方が思い出せないくらい、誰かを好きだった。
二年ぶりにこのブログを遡ったら
さらに遡りたくなって
学生時代のときに綴っていたものを探し出した。
そこにはその時誰かに恋をしていたわたしがいた。
カナダ時代は、史上最高にモテていたのに全く自分に興味のない人を好きになったり、上手くいかなくて別の人をみたら案の定悪い男だったり
日本に戻って好きになった社会人のひとと、進学で上京して遠距離になって別れたり。
そしてそばに居てくれる人をずっと好きでいたいと願ったのにできなかったり。
その頃のわたしからしたら、会えないひとと国を越えて遠距離しているのに、別れるなんてこれっぽっちも思わず、毎日愛で包まれてる日常は、想像し難いだろうな。そういう日が待ってるよ。すごいね。
毎回ひとを好きになる度に、こんなに好きになれる人いないって思っていたかもしれないけど、どんどんそれは上書きされていくからね。
これだけ恋をしていたわたしが
きっと、これで最後だろうなあと感じる瞬間があって、その感覚が本当にそうなのかは
まだ、よくわからない。
だけど、今いる好きな人たちをうんとうーんと愛したいだけ、みたいなフェーズに入った、ということも同じく感じていて、その感覚に従っていきたいなとおもう。
ここ数年は、ずっと穏やかな恋愛をしていて
過去に喧嘩ばかりだったことを思うとこの変化に驚く。嫉妬とかやきもちなんて言葉は、すっかり忘れていた。
物質的な関わりが全ての三次元での恋愛ではなく、いつのまにか彼らのおかげでひとつ上にあがっていて、その居心地のよさにぬくぬくしてたのだけど、
「それ自力でこっち来たんじゃないでしょ、自分の力であがってこい」
って言われ(た気がし)て、三次元に落とされ、なんとかやっとこ這い上がってきて今に至る。
夢のようだった。
儚くて一瞬で。
でもそれは確かに存在していて
ちゃんと軌跡が残ってる。
本来の自分を抑えて過ごし、大きな見直しを強いられた水瓶座満月。
ここで終わった関係はもう戻らなくて
学び終えたものだとわかってはいても
手放すのに時間がかかったね。
やっとひとつの幕が閉じて
次の章が始まる。