今日は
アメリカのパートナーの話でも。
外国人によくモテる。
あの夏の日の夜も、なんだかしつこい外国人にナンパされていて、それを助けてくれたのがはたまた外国人の彼だった。
歳上はほとんど興味のないわたしが何故か惹かれて、急速に仲良くなったけど
その理由のひとつは彼の作る音楽だった。
向こうの国でも通訳の仕事の傍ら、音楽活動を続ける人で、自分で曲を生み出していた。
わたしのお家にあるピアノで何曲か披露してくれたのだけど、全てを聴いて
唖然とした。
彼が何を弾いても自分好みだったから。
彼から生み出される音楽が、
本当に迷いなく
好きだ、といえるものだった。
そんなことってある?
好きな曲とか本とかが似てるねとか系統が近いよねみたいなことは多々起きるけれど
その人から生み出される音楽が全て好きって。
わたしが今まで生きてきた人生の中では初めての衝撃。
それからもうひとつ。
彼は三つの言語を操るいわゆるトリリンガルで、日本語も何不自由なく普段日本人と話すかのごとく話せるのだけれど
わたしは彼の話す英語が好きだった。
彼が英語で選びとる文章が、とてもセンスがよくて気持ちがよかった。綺麗な英語だなとおもった。
だいたいわたしが人を好きになるときって
性格とか顔とか好きなものとか食べものの好みが合うとか、そういうのではなくて
その人がつくる世界観とか
音楽とか
書いてる字とか
言葉の選び方とか。
そこからで。
だから好きがなくなることって少ないし、それらはその人だから生まれるものであって、他の人には同じものが創れないから代わりがいないんじゃないかって。
彼氏彼女とか恋人にしたいとか
肩書きはどうでもよくて
ただ、わたしの人生に彼に関わってほしかった。
そこに愛があれば、それでいいの。
「わたしはわたしの人生に貴方が関わってくれたら嬉しいし、貴方の人生にもわたしが少しでも関われたら嬉しいなとおもってるだけです」
そう、伝えてる。
出会ったときからずっと大切に扱われ続けていて、それは会えなくなった今も変わっていない。
「会えなくても大事におもわれているのは、伝わってます。いつもありがとう」と言ったら
「出来ればもっと、大事にしたいです」と返ってきたけど、十分すぎるほど受け取ってるよ。
歳上なのに、なんだか子どもっぽかったり、
めちゃくちゃ出来る人なのに大きな仕事の前に不安になって連絡をくれたり、
外国人なのに日本人みたいに謙虚だったり。
逆にわたしに関しては最上級に褒めちぎってくれるので、何か嫌なことがあって連絡をした瞬間、あっというまに自己肯定感をあげてくれちゃう。
そんな素敵なひとに好きだと大事にしたいと言われるだけで、もうわたしは守られてる気分になるんだけどね。
ありがとう。
彼と出会った夏からすでに二年が過ぎ去って、一体わたしたちはいつになったら一緒に音楽ができるのかっておもうけど、諦めてないよ。
彼の奏でる音楽にあわせて
わたしが踊ったあの夏の日。
楽しかったねえ。
踊って
歌って
暮らしたいね。
わたしと彼のテーマ曲はタイトル通り。
わたしがエド・シーランとテイラースウィフトの最初の頃がとても好きだと言ったら、この曲を一緒に歌おうって言ってくれて、カラオケで歌った。
いつか
この家の縁側で
彼がギター片手に、わたしは隣にちょこんって座って、この曲を一緒に歌う日を夢見てる。
そんな
音楽のパートナーのはなし。
21.10.18追記
この記事を本人に教えたら
とても喜んでくれた。
"You ARE special. You have to know that."
この世界に君みたいなひとはいないよって
そんなひとを大事にしないわけがないでしょうって。
大事にされることに慣れすぎてしまって
よくないなあといつも思うけど
きちんと感謝して
わたしも愛を伝えたいとおもう。
ありがとう。