この苦しさは
きっと
あのひとが受けた苦しみなんだろうな
そうおもって、素直に受け入れてる。
けっこう物心ついたころから
自分のしたことが自分に返ってくる
という実感があって
良いことも悪いことも全部自分次第だなというその感覚は、今も変わらない。
例えば見下されたり侮辱されたとしても
同じところまで自分を下げることはしないと決めていて、やり返したりは絶対にしない。
その相手がいつか同じことを他の誰かにされるんだろうなと、少し可哀想におもった。
誰かを傷つけたら
わたしも傷つく。
わかってはいても、どうしても誰も傷つかない世界なんていうのは難しかった。
そのとき相手を傷つけない選択をしたとしたら、代わりに自分が傷ついていたかもしれない。
でも結局、傷つけてしまったから
巡り巡ってまた違うときに自分が傷ついているんだけど。
今世において
どうしても繰り返し起こることがあって
同じ名前同じ状況
不思議なくらい一致していて
もっともっと前の、根深い何かが残ったまま癒されてないんだろうなとおもってはいるけれど
さすがに自分のちからだけで解決できなくて。
今後起こるであろうそれを注意深く観察して避けるくらいしかできない気がしている。
避けても根本的なことが解決してないから、また起こるんだろうな。次に生まれ変わるときまで残すべきか?ここで何とか解決するか?
そんなことも、ふと考える。
まあそれはさておき
自分のしたことが自分に返ってくるとわかっているからこそ
ひとに対しても物に対しても
愛を持って接したいし、誠実にいたいとおもっていて
相手からどんなに酷いことをされたとしても
それでも大事に出来たらなと綺麗事みたいだけど本当にそうおもっている。
今日は
ずっと、きちんと話したいとおもっていたひとと
数ヶ月ぶりに話せて
少しだけ前に進んだ気がした。
どれだけ経っても大事なのは変わらないの。
愛して、近づいて、傷ついて、苦しんで、失って、苦しみ抜いたその先には
前とは違うかたちの愛があるみたいだった。
その相手の手をひきたかったのにひけなくて
気づきも与えられなくて
どうしたらいいのかを考え続けていて
ただ相手の気持ちに寄り添ってみようと
そう決めた。
たしかに自分の中では何も解決していないから苦しいのは続いているのだけど
それと引き換えにとても幸せな、新たな巡り合わせや出来事がおこったり、今に繋がっていることがあって
きっとそれはあのままでは起こりえなかった。
この苦しさから逃げて
もうその相手と関わらず
一切を断つことだって簡単で
それはある種自分を守ることになるとおもう。
だけど、あともう少しだから。
ここまで自力で癒してきたのに
最後放棄するなんてことはできないね。
この苦しさは
きっと
過去のわたしの大事なひとが
わたしから受けたものだから。
これだけ長く苦しいのも
そのひとが受けた長さと同じだとおもうから。
まだまだ苦しくても
素直に、受け入れようと思ってる。
ここを越えたら
もう二度と
同じ苦い想いをしなくてすむよ。
癒して
前に進もう。
そうしたら
また
もうひとつ
上がれるの。
癒しには苦しみも伴うけど
幸せの純度を上げること
これが本質。
上がったその先の景色は
知ってるでしょう。
もう何度も繰り返しているから。
ね。
ある日の白い世界。
世界はいつも美しい。