わたしにはおじいちゃんの記憶がない。
だから、スウェーデンパートナーのおじいちゃんは、わたしにとって唯一の「おじいちゃん」だった。
毎回、スウェーデンから帰る日が近づくと空港近くのおじいちゃんおばあちゃんのいるお家に泊まらせてもらった。
おじいちゃんは、おばあちゃんと違って口数が少ない。パートナーのお父さんそっくり。あの家系はみんな似てる。彼はお父さんそっくりだもの。(彼の性格は母譲りだが)
そしてみんなそれぞれ楽器弾けるの素敵だったな。音楽一家。
スウェーデンの家族ってとても繋がりが強くて、それは遠く離れているわたしにも感じられた。おじいちゃんおばあちゃんは、私の誕生日やクリスマスにもメッセージやお祝いを届けてくれて、もうほとんど家族のようだった。
そんなおじいちゃんが多分いちばん、わたしと彼がはやく一緒になることを望んでいた気がする。孫の中で唯一の男の子の彼をとても可愛がっていたから。
生きているうちに、またふたりで会いに行きたかったけれど行けなくてごめんね。
今回の訃報を受けたとき、タイミングよく孫の彼がそばにいたときで、ちゃんと彼に会えるまで待っていたのかなと思った。
ご冥福を、お祈りします。
わたしにとっても、「おじいちゃん」でした。