スウェーデンパートナーのいいところは、何かあってもきちんと意見を交わして解決できるところ。返事が全然こないとか、何考えてるかわからないとか、そういうことがない。
同じ熱量で、しっかり向き合ってくれる。何があっても、大丈夫だと思わせてくれる。逃げたりすることは絶対にないから、信じられる。
「みゅんを傷つけたいわけじゃない。もし僕の言葉で、傷ついたり嫌な気持ちになったら、そのときに言ってほしい」
直接話していたら生じなかっただろう誤解があって、文章だけではお互いにニュアンスが伝わらなくて、すれ違ってしまった。
けれど、あっという間にその誤解は解けた。
彼は、その時その時で話し合いがしっかりできて、何をどう感じたかきちんと伝えてくれる。そして、わたしの思いも聞いてくれて、その後どうすべきかも話し合える。
六年半のリレーションシップの中で、喧嘩という喧嘩をしたことが数える程しかなく、ほとんど話し合いで解決してきた。
このときに「こんなことを伝えて嫌われたらどうしよう」、なんていう不安を感じたことがないのは、彼への絶対的な信頼があってこそだ。
過去、わたしが一緒にいたひとに対してはみんな大切に思っていて、どうにか相手を理解しようとしたけれど、思っていることを伝えてもらえなかったり、向き合って貰えなかったりしたことがあって、それはどんなに酷い喧嘩よりも、私の心に傷を残している。
もう数えられないくらい恋をしてきた中で、終わりが納得できなかった恋だけは、忘れられないと思う。
愛にならない恋は沢山あったよ。
でも、それがきっとどこか自分の一部に、織り込まれている気がする。
結局、何が言いたかったかって
スウェーデンパートナーがやっぱり神だわ、ってことだった。
好きだから一緒にいるために上手くいく方法を考えたいってお互いが思って、伝えあっているのに、この関係性が終わるわけないよね。
一生、終わらない。