田舎暮らし、ときどき北欧。

夢をカタチにするまでの軌跡。

涙の理由

それはいつも突然やってくる。

急に堰を切ったかのように涙が止まらなくなること。

 

普段もまあよく泣いているのだけど

その涙の理由はだいたい毎回ちゃんとしていて

悲しいのか

苦しいのか

辛いのか

切ないのか

嬉しいのか

幸せなのか

感動しているのか

とにかく自分で何故泣いているかがわかる。

でも、この時期に必ずと言っていいほどくるこれは「何で泣いてるの?」と聞かれても、しっくりくる言葉で表現ができなくて困るのだった。

 

なんとなくだけど

少しずつ泣いているだけでは出し切れなくて積み重なった何かが、あるときもう抱えきれなくなって突然出てくるみたいな。

自分では無理しているつもりもないのに不思議。

冷静に最近のことを振り返ればキャパオーバーしててもおかしくないのだけど。それでもまだ立ってられているのは支えてくれる人たちのお陰以外の何物でもないよね。

 

 

涙のトリガーは思うように出来ない悔しさとプレッシャー。

何でもできて凄いねって言われることが多いけれど、本当に出来ないことだらけ。自覚してるからこそ、ひとから言われるとダメージが大きい。でも急に何でも出来るわけがないから、ひとつずつクリアしていくしかない。

 

伝えたい思いがありすぎるのに、それが上手く言葉にならなくて涙になったみたいだった。

でも泣いてちゃ伝わらないので、無理やり言葉にしてた。それでもどこまで伝わったかは謎だけど。

 

いい大人なんだから、自分の感情くらいコントロールして、きちんと自分の言葉で表現できればいいのに。この年になっても100パーセント完璧には出来ないんだが。出来るようになったのは、自分の感情に責任を持つことくらいか。

 

踊ることも、言葉に出来ないものを表すひとつの方法なんだろうな。わたしにとって。

 

 

 

少し前に、あるひとに言われた。

「まゆみちゃんはその小さな身体に色んなものがぎゅぎゅって詰まってて、入り切らないのを無理やり詰めてる感じ」

「入りきらなかった分が、少しずつ溢れ出てる」

 

これ、自分の感覚として

めちゃくちゃわかる。

 

 

それにしても

わたしの中には一体何が詰まってるのか?

空っぽに見えるよりは

沢山何かが詰まってる方がそりゃいいんだろうけど。

 

それが人としての深みで

覗いても覗いても

奥が見えないとか

そういうことなら嬉しいし

愛が溢れすぎてて

溢れた分を周りに分けられているなら

それがいちばん嬉しい。

 

だけど今回出てきた涙たちは

人に分けるどころか心配されてしまった。

 

でも「無理しないで」

じゃなくて

「ゆっくりでいいよ」

「一緒にがんばろ」

が、今のわたしには嬉しかった。

頑張りたいの。

その想いを汲んでくれてるんだなっておもえて、そう言ってくれる人が傍にいてくれて、本当に救われる。

 

今回も、乗り越えられそうです。

乗り越えます。

ありがと。

 

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